渇きとわたし

 

15-409

枯渇する群れの、成れの果て。

(世にも奇妙な日本で起きてるホントの話。

日々そんなにパリピってないと生きていけないのだろうか。(なんか見た。

巷に溢れる”教え”の数々。

教えを乞う人、教えたくて仕方のない人。

爆誕する布教和音。

ブログって、SNSって、いつから事故自己PRの場になったんだろう。

わたしもキラキラとかピカピカ好きですけど、

いや、違う。コレジャナイ感。

わたしが世間知らずなだけかな。(そうだねきっと。

 

反応があれば確かに面白いし嬉しいのはわかるけど、

そんなに「誰かに向けて発信」する必要があるのだろうか。

自分の思いや感じたことを表現する場ではないのか。

大のおっさんおばさんが群れを成し、現実から目をそらし、

空想と妄想の世界から一向に帰ってこない姿を見ると、

一体どうしてこうなった。と不思議に思う。

 

そんなに誰かからの肯定がないと生きていけないものなのだろうか。

 

誰かの創るものを、提供されたものをそのまま身にまとうより、

自分で創るほうが圧倒的に楽しいし、一等自分に似合うと思うのだけど。(苦労はあるけどね。

 

わたしを!俺を見て!

 

叫べば叫ぶほど、カラカラに渇いていくこのループ。

自分の陰を見て怯えているように見えるのはわたしだけだろうか。

 

にしても、毎日ってそんなにSo,Happy!!\(^o^)/っすかね。

いや、そりゃラッキーハッピーおっぱっぴーであるに越したことはないですよ。

誰が好き好んで痛くてツライ選択するかってんだ。

 

でも、それしかない世界がもしあるのだとしたら、

わたしは次第に虚しくなるのだろうと思う。つまらなく感じるのだろうと思う。

 

更なる面白い世界を見るためには、

頭に花咲かせて同じ場所でピーヒャラやってるだけじゃ得られないことも確かなのだ。

 

ご存知のとおりわたしは楽しい日もあれば悲しい日もあるし、

ハラワタ煮えくりかえって何も手につかない日もある。

 

なんでもかんでも赤裸々に綴れってんじゃなくて、

一方向にのみ、過剰に綴られる文章なり言葉に対して違和感を覚えるのです。

 

とまあ基本は愉快なネットライフを送っているわたしですが、

ときたま事故現場みたいなのに遭遇するんでね…。

なんか見ちゃったら、うすらぼんやり見送るようにしています。

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選択肢とわたし

15-400物思いにふける。

(そしてこの後ずっこけた。

今回の田舎帰省で、結婚観について話題が出たので、

思ったこと、話したことをば。

「結婚願望はないの?」

と従姉妹から聞かれたけれど、

いまもやっぱりよくわからない。

あるのかもしれないし、ないのかもしれない。

いつかはするのかな、とも思うし、しなくてもいいか、とも思ってる。

 

今のところ、ひとりでも困ることがないからかなあ…と答えると、

「なんでもできちゃうもんねー」

と返ってきて、目が点に。

…他の従兄弟も「圧倒的にできない、苦手分野の分担」が、

結婚の決め手の一つだったという。

そういうものなのだろうか。

 

生活する上で圧倒的に出来ないこと…。うーん…。

ない。(^ω^)チーン

”最低限”の生活力って、いつの間にかだったり、努力で身につけてこれたから、

考えたことも無かったや。

たぶん、物質的な生活水準が、一般的な人より低いのも大きいかも。

何をもって贅沢というのか、その基準や価値観が違うだけの話。

自分を養っていくだけの力、は身についているとは思う。

「こうなったら同じ独身のMちゃんと一緒に生活するってのはどう?」

と冗談で提案された時、

Mちゃんの、

「そうなったらわたしは楽やけど(^^♪」

という言葉を受けて、

ああ、わたしは今もまだ、このセリフを言われるのか、と小さく落胆。

 

学生時代に、同じようなセリフをクラスメイトに言われて、

ブチ切れたなあたと思い出す。

あ、ちなみにMちゃんに対して腹はまったく立たないよ。言う相手と状況によるので。

「楽だ」

って、一見ポジティブな言葉のように見えるけど、

そうではないんだよなあ。

 

自分で出来ることが多ければ多いほど、「わたしが」楽になるから、

出来ないこともなんとか自分で出来る程度までしてきたし、苦手の克服もそう。

逃げていても、最終的に困るのは自分だと思うと、

そう簡単には誰かに委ねられなかっただけ。

決して誰かを楽させるためにやってきたわけじゃないんだけど、

「なんでも自分でやった方が楽」

を、し続けた結果、

本来その人がやる分までわたしが奪ってしまい、

相手からしたら楽チーン♪になるという。

 

そんなことしてたら、当たり前だけど限界を迎えるので、

めでたく第一次ブチ切れ事件が勃発。という流れ。

 

相手からしたら迷惑な話ですよ。

勝手に自爆してブチ切れてんだもん。

親孝行=結婚して孫の顔をみせること

とくに田舎に行けば行くほど色濃く残るこの呪縛。

身を置く地域の影響、はたしかにあると思う。

 

母も、伯母たちも、15で秋田を出てこれたのは、

じいちゃんがもともと生まれも育ちも江戸っ子だったのと、

田舎独特の人間関係や風習が大嫌いだった(笑)ってのが大きいと感じる。

”よそ者だから”と、差別されていたそうだけど、

いやーそれはそれは本当に良かった。

染まらない強さを持つ祖父の頑固さを、わたしはものすごく誇りに思う。し、

いい意味でも悪い意味でも、

頑固なところはめっちゃ受け継いでるよ。ワッハッハ

結婚組に、

「なぜ結婚という形を選んだのか」

という問いを投げてみたんだけど、

明確な答えは、誰からも出ず。

そもそも明確さを求めるようなことじゃないんだけど。(´_ゝ`)

 

時代にもよるんだろうな。

わたしが生きている今の時代は、選択肢がとても多い。

そのことはありがたいことだと思う。

生きにくいけど、生きやすい。

 

とはいえ、家庭を持つ彼らを眺めていると、

大変そうだけど、それをはるかに上回るよろこびがあって、何より生活を楽しんでいる。

それが一番だなあと思う。

おススメするのもよくわかるし、その良さも、ちゃんと伝わっているよ。

いとこたちとはどんな選択をしても、

互いに介入しすぎず、容認できる間柄なのが嬉しい。

それこそ気が楽だ。

もう一つ書きたいネタがあるんだけど、

長くなるのでまた次回。

継ぐものとわたし

DSC_0006もろもろ繋がった。

(タイムリー。

事前情報はほぼ入れずに観ましたが、

自分の中でリンクすることがチラホラありました。

きょうだいは、互いに嫉妬し競い合うのが定めのように見えて、

しかし果たして、それらは真実なのだろうか。

未来のミライ公式HP/監督メッセージより。

真実ではない。と、わたしは思う。

昨日の記事とも重複するけれど、

嫉妬も、ましてや競争など、まるでピンとこない。

同性じゃないからなのか、はたまた歳の差が3つだからなのか、

それとも得意分野も性格もまるで真逆だからなのか、

弟自身が穏やかで、慕ってくれていたからなのか。(←これが一番おっきいと思う。

 

モノの取り合いも、はて?そんなことあったかしら?ってな感じ。

弟サイドの意見はまた違うかもしれませんが。(どうよ?笑

作品事体は、消化不良だったというのが正直な感想。

あと、監督は自分の子ども(※産み出した作品も含む)が大好きなんだろうなあって感じました(^^)

他にも、この作品を観て自分はどう感じ、何を思ったか…はあるのですが、

それよりも、わたしはなぜ今回秋田以上に山形に行きたいのか、

ハッキリしたことが大きな収穫でした。

 

戦争とじいちゃん、だ。

 

父方も母方も祖父はもうこの世にはいないけれど、

共通しているのは、ふたりとも戦争を経験し、そのふたりともが”生きて”くれたこと。

タイミングがちょっとでもズレたり、どんな人が欠けても成立しなかったわたしという存在。

継ぐもの。

短い帰省でどこまで確かめてこれるかはわかりませんが、

がっつりアンテナ感度をバリ三にして臨もうと思います。

繋がりとわたし

DiGKf6WVMAExQJI.jpgまた来るね。

(三峯神社再訪

ひょんなことから行くことになった三峯神社。

夜中の1時に出発し、3時半くらいには現地に到着。

車で山道を走行中、鹿に遭遇するわ狸に遭遇するわ、

帰りは帰りで山猿御一行様に遭遇するわで、

さすが秩父と思いました。

鹿って想像してたより遥かに大きくて、めちゃくちゃビビったよね。

にしても、夜中に車走らせちゃって申し訳なかったなあ。動物の邪魔をしてしまった。ゴメンナサイ

前に三峯に連れて行ってもらった際、

足場が悪くて行けなかった場所があったのですが、

そこにも行ってこれました。

教えてもらわなかったら、確実にスルーというか、知らずに終わってた。

そしてこれまた知らなかったのですが、

ヤマトタケル像があるんですって?三峯神社。(ちったあ由緒なり歴史なりを事前に頭に入れておけ

やだ、わたしこないだ金沢でただ単にルンッ♪てしてるから面白いと思っただけの( ‘ ^‘c彡☆))Д´) パーン

ヤマトタケル像に会ってきてたよ(この間の金沢旅行記参照)↓

DSC_1143

いろんなことが繋がってるんだと感じます。ただの偶然だけど楽しい。(で、このヤマトさんって結局誰ブフッ∵(´ε(○=(゚∀゚ )

身の回りの物事が一新してます。

人、モノ、システム、慣習、体質…。

ぐんぐん古いものが新しいものへと変わってってる。

友人にひっっっさしぶりに連絡取ったら、

秋に赤ちゃんが誕生する予定だというし、

10年越しの、弟が誕生日に買ってくれたガラケーともとうとうサヨナラして、

電話番号も変わった。

相変わらず交通機関のトラブルに遭遇しまくってますが、

それにも慣れてきたよ(嫌な慣れだ笑)

来年にはガラッと変わってそうな予感がする。

って、そりゃガラッと変わるわな!平成が終わるじゃんね!!ドカーン(アホ丸出しである

去年の今頃は、直虎に夢中だったのかと、

過去の記事をザーッと読んでいたのですが、

わたし、めっちゃ楽しそうだな。(´_ゝ`)

なにこの本能剥き出し、欲丸出しの記事たちは。

虎絵描くのも毎週ヒィヒィ言ってたのですが、それを上回る楽しさだったもんなあ。

身を置く場、関わる人。

全て選べればいいけれど、そうはいかないことがあるわけで。

…自分で出来るケアをしていても、

それでもどうしても、全てカバーすることは出来ず、

いつの間にか積もってしまった怒りがあったようで、

ハラワタが煮えくり返って、とうとう怒りで目を覚ますという日が続いていたのですが、

今日、本を読んでいたらスッと散っていった不思議。

おかげで、過去記事を読んで楽しい思い出を反芻する余裕が出来ました。

この本のおかげだろうな。ありがとうだよ。

”大々的に受け取る”

2年前に、ぽつりと伝えてもらった言葉なのですが、

同じことを別ルートでも何度も何度も伝えてもらっているので(笑)、

正直どうするのが正解なのか、今もよくわからないのだけど、

それでも、わからないなりに意識して過ごしています。

ちったあ変わってるんだろうか。

平成が終わる前になんとか、ここをしっかり達成したい目標です。

感想とアイデンティティーとわたし

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ポンコツ家族。

(各々の第一声。感想4コマ。

両親と共に、朝一番の回を観に行き、

ファミレスでお昼食べながら、自分なりの解釈をシェア。

母は「いろんな問題がこの家庭に一極集中するとかありえなくない?よくここまで集めたもんだよねえ。映画だわーって感じ」

とのことで。詰め込み過ぎて逆にとっ散らかってみえたみたいです。

これに関しては、わたしは、観る側に選択(どこに、誰に視点を置くか)をゆだねたんじゃないのかなあと思ったけど。

父は本も映画も黙々と楽しむタイプで、口数はものすごく少ないのだけど、

(わたし以上に、想いや考えを言葉にするのがとても苦手な人ともいう)

ひとまず樹木さんの演技にゾワッとしたらしい(笑)

両親とは趣味嗜好もバラバラなので、そもそも一緒に作品を観に行くことも、

ましてや感想を言い合うこともあんまりしないので、

今回みたいなことはなかなかに新鮮でした。

どこに視点を置いて観たかは3人とも違ったけれど、

根本的なことについては、共通認識だったというか、思うことは同じでした。

で、わたしの感想。

ぱちん、と現実に引き戻されるような感覚と、

最初から何もなかったんじゃないかと勘違いするほどの、なんにもなさ。

当然解決なんかするはずもなく、

なに一つ変わらないまま、時間とともに薄くなっていって、ただ消えていく様よ。

どこかで起きてる他人事の世界。

わたしが特に印象に残ったのは、安藤さん演じる信代と、

池脇さん演じる刑事さんとのやりとりでした。

そうだ、”世間一般”ってこうなんだよなあと、改めて。

あとは、選択肢のある少年と、選択肢のない幼女の対照的な末路も。

いろんな作品に触れてる最中ですが、

わたしがどの作品に対しても考える事は、

一致、不一致についてだ。アイデンティティ。

たとえばわたしは、女として、日本人として産まれたけれど、

じぶんの肉体や人種に違和感は一切ないし、

性的な意味も含めて好意を寄せる対象も、今のところは男性であり、

一応は、子を宿すことも可能。

じぶんが生まれた時代や、育った家庭環境にもこれといった疑問も不快感もなく、

社会のルールにも、それなりに対応してこれている。

こんな風にわたしは、意識せずとも、脳みそを通さなくても良いほど、

一致や適合の数が多いけれど、

もし、そうではなかったとしたら?

生きている中で、窮屈に感じたり、苦痛なことはあるけれど、

その割合が、じぶんが消えてしまいそうなくらい圧倒的なものだったら?

…なんで生きてんだかわからなくなってたと思います。

生まれた意味や、価値だとかはどうでもいいんです。

そんな後付け感満載な理由付けなんて、

きっと何の慰めにも希望にもならないだろうなあと思う。

実際にじぶんの身に起きていることではないので、

これ以上の想像も、感じ取ることもできませんが、

この先一致が不一致へとひっくり返るかもしれない。

そうやって自分に直接降りかかる問題になったとき、

わたしは何を希望に生きていくんだろう。

やっぱり創作なんだろうか。

そんなことを観終わった後、考えています。

縁とわたし

15-372.pngひとつの輪っか。

(あらゆることは、つながってる。

人の縁って不思議だ。

円(わ)になって宴をしたり、

円(おかね)を生み出したり、はたまた疎遠になったり。

何かがズレると、あっという間に怨(恨)にもなる。

ここ数年、縁の重さを感じることが多いです。

じぶんの目の前で繋がっている縁だけじゃないんだもの。

その先にはさらにたくさんの縁とつながっているって考えたら、

ものすごく怖いし、すくみます。

重く感じるってことは、

当然、自分にとってはまだまだ負担以外の何物でもないという認識なのだけど、

そういう状態のままで終わらせるのか、

認識を変えて別のものにするのかは、わたしの自由なのだよなあ。

いまとは違う景色を見たいと思ってしまった以上、

認識を変えていかないと見えない。

時間は有限だから、もたもたしてる場合じゃないってことも。

じぶんの臆病さがうっとおしくて情けなくなるけど、

それでも一歩一歩やっていくしかないのだ。

カンフル剤とわたし

15-366ものっそ単純。

(パワー注入!

某ラジオ番組が、神キャストチョイス過ぎて震えてます(察し

こうやって、ただただ好きな作品が抜群のタイミングで出てくるだけで、

絵のような無敵状態になるわたしだよ…。

もっと表現できるようになりたいなあ。

先日、とある方の記事を読んで、

すごくザワッとした気持ちになったので、

この気持ちは何なのだろう?と考えていました。

 

”リアルがフィクションを凌駕する。”

 

果たしてそうだろうか。

…相変わらずうまく表現できないのだけれど、

おもしろさ、楽しさ、感動、興奮…何でもいいですが、

「感じ」を、リアルとフィクションとで同列に置く(並べる)ことに猛烈な違和感があるのだ。

超えるとか超えないとかじゃなくって、

なんていうか、わたしは全く別モノだと思うのです。

それに、お腹の底からムズムズが湧き上がったり、

目の前の景色がキラキラ輝くのは、フィクション、非現実の世界だし、

こんな風になるのだって、

現実に無いものを描いているから、とか、

現実ではありえない、到底無理な世界だから、ではないんだよなあ。

この記事を書いた方とは、

求めるものや、視点が違うのだろうなってのはもちろんわかるんだけど、

今回珍しく人様の個人的な意見に反応したのも、

なんかこう、閉じられた感じがして悲しくなったというか、

そうじゃない!っていう謎の抵抗感が半端なくて、スルーできませんでした。

あ、この方の記事に対して、

叩きたいわけでも、いちゃもんつけたいわけでもありません。

ただ、わたしにとって創作は、ほんとうに尊いものだから、

込み上げてきたのです。

 

という、浅井いち個人のお話でした。