繋がりとわたし

DiGKf6WVMAExQJI.jpgまた来るね。

(三峯神社再訪

ひょんなことから行くことになった三峯神社。

夜中の1時に出発し、3時半くらいには現地に到着。

車で山道を走行中、鹿に遭遇するわ狸に遭遇するわ、

帰りは帰りで山猿御一行様に遭遇するわで、

さすが秩父と思いました。

鹿って想像してたより遥かに大きくて、めちゃくちゃビビったよね。

にしても、夜中に車走らせちゃって申し訳なかったなあ。動物の邪魔をしてしまった。ゴメンナサイ

前に三峯に連れて行ってもらった際、

足場が悪くて行けなかった場所があったのですが、

そこにも行ってこれました。

教えてもらわなかったら、確実にスルーというか、知らずに終わってたなあ。

そしてこれまた知らなかったのですが、

ヤマトタケル像があるんですって?三峯神社。(ちったあ由緒なり歴史なりを事前に頭に入れておけ

やだ、わたしこないだ金沢でただ単にルンッ♪てしてるから面白いと思っただけの( ‘ ^‘c彡☆))Д´) パーン

ヤマトタケル像に会ってきてたよ(この間の金沢旅行記参照)↓

DSC_1143

いろんなことが繋がってるんだなあ。ただの偶然だけど楽しい。(で、このヤマトさんって結局誰ブフッ∵(´ε(○=(゚∀゚ )

身の回りの物事が一新してます。

人、モノ、システム、慣習、体質…。

ぐんぐん古いものが新しいものへと変わってってる。

友人にひっっっさしぶりに連絡取ったら、

秋に赤ちゃんが誕生する予定だというし、

10年越しの、弟が誕生日に買ってくれたガラケーともとうとうサヨナラして、

電話番号も変わった。

相変わらず交通機関のトラブルに遭遇しまくってますが、

それにも慣れてきたよ(嫌な慣れだ笑)

来年にはガラッと変わってそうな予感がする。

って、そりゃガラッと変わるわな!平成が終わるじゃんね!!ドカーン(アホ丸出しである

去年の今頃は、直虎に夢中だったのかと、

過去の記事をザーッと読んでいたのですが、

わたし、めっちゃ楽しそうだな。(´_ゝ`)

なにこの本能剥き出し、欲丸出しの記事たちは。

虎絵描くのも毎週ヒィヒィ言ってたのですが、それを上回る楽しさだったもんなあ。

身を置く場、関わる人。

全て選べればいいけれど、そうはいかないことがあるわけで。

…自分で出来るケアをしていても、

それでもどうしても、全てカバーすることは出来ず、

いつの間にか積もってしまった怒りがあったようで、

ハラワタが煮えくり返って、とうとう怒りで目を覚ますという日が続いていたのですが、

今日、本を読んでいたらスッと散っていった不思議。

おかげで、過去記事を読んで楽しい思い出を反芻する余裕が出来ました。

この本のおかげだろうな。ありがとうだよ。

”大々的に受け取る”

2年前に、ぽつりと伝えてもらった言葉なのですが、

同じことを別ルートでも何度も何度も伝えてもらっているので(笑)、

正直どうするのが正解なのか、今もよくわからないのだけど、

それでも、わからないなりに意識して過ごしています。

ちったあ変わってるんだろうか。

平成が終わる前になんとか、ここをしっかり達成したい目標です。

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感想とアイデンティティーとわたし

15-370

ポンコツ家族。

(各々の第一声。感想4コマ。

両親と共に、朝一番の回を観に行き、

ファミレスでお昼食べながら、自分なりの解釈をシェア。

母は「いろんな問題がこの家庭に一極集中するとかありえなくない?よくここまで集めたもんだよねえ。映画だわーって感じ」

とのことで。詰め込み過ぎて逆にとっ散らかってみえたみたいです。

これに関しては、わたしは、観る側に選択(どこに、誰に視点を置くか)をゆだねたんじゃないのかなあと思ったけど。

父は本も映画も黙々と楽しむタイプで、口数はものすごく少ないのだけど、

(わたし以上に、想いや考えを言葉にするのがとても苦手な人ともいう)

ひとまず樹木さんの演技にゾワッとしたらしい(笑)

両親とは趣味嗜好もバラバラなので、そもそも一緒に作品を観に行くことも、

ましてや感想を言い合うこともあんまりしないので、

今回みたいなことはなかなかに新鮮でした。

どこに視点を置いて観たかは3人とも違ったけれど、

根本的なことについては、共通認識だったというか、思うことは同じでした。

で、わたしの感想。

ぱちん、と現実に引き戻されるような感覚と、

最初から何もなかったんじゃないかと勘違いするほどの、なんにもなさ。

当然解決なんかするはずもなく、

なに一つ変わらないまま、時間とともに薄くなっていって、ただ消えていく様よ。

どこかで起きてる他人事の世界。

わたしが特に印象に残ったのは、安藤さん演じる信代と、

池脇さん演じる刑事さんとのやりとりでした。

そうだ、”世間一般”ってこうなんだよなあと、改めて。

あとは、選択肢のある少年と、選択肢のない幼女の対照的な末路も。

いろんな作品に触れてる最中ですが、

わたしがどの作品に対しても考える事は、

一致、不一致についてだ。アイデンティティ。

たとえばわたしは、女として、日本人として産まれたけれど、

じぶんの肉体や人種に違和感は一切ないし、

性的な意味も含めて好意を寄せる対象も、今のところは男性であり、

一応は、子を宿すことも可能。

じぶんが生まれた時代や、育った家庭環境にもこれといった疑問も不快感もなく、

社会のルールにも、それなりに対応してこれている。

こんな風にわたしは、意識せずとも、脳みそを通さなくても良いほど、

一致や適合の数が多いけれど、

もし、そうではなかったとしたら?

生きている中で、窮屈に感じたり、苦痛なことはあるけれど、

その割合が、じぶんが消えてしまいそうなくらい圧倒的なものだったら?

…なんで生きてんだかわからなくなってたと思います。

生まれた意味や、価値だとかはどうでもいいんです。

そんな後付け感満載な理由付けなんて、

きっと何の慰めにも希望にもならないだろうなあと思う。

実際にじぶんの身に起きていることではないので、

これ以上の想像も、感じ取ることもできませんが、

この先一致が不一致へとひっくり返るかもしれない。

そうやって自分に直接降りかかる問題になったとき、

わたしは何を希望に生きていくんだろう。

やっぱり創作なんだろうか。

そんなことを観終わった後、考えています。

縁とわたし

15-372.pngひとつの輪っか。

(あらゆることは、つながってる。

人の縁って不思議だ。

円(わ)になって宴をしたり、

円(おかね)を生み出したり、はたまた疎遠になったり。

何かがズレると、あっという間に怨(恨)にもなる。

ここ数年、縁の重さを感じることが多いです。

じぶんの目の前で繋がっている縁だけじゃないんだもの。

その先にはさらにたくさんの縁とつながっているって考えたら、

ものすごく怖いし、すくみます。

重く感じるってことは、

当然、自分にとってはまだまだ負担以外の何物でもないという認識なのだけど、

そういう状態のままで終わらせるのか、

認識を変えて別のものにするのかは、わたしの自由なのだよなあ。

いまとは違う景色を見たいと思ってしまった以上、

認識を変えていかないと見えない。

時間は有限だから、もたもたしてる場合じゃないってことも。

じぶんの臆病さがうっとおしくて情けなくなるけど、

それでも一歩一歩やっていくしかないのだ。

カンフル剤とわたし

15-366ものっそ単純。

(パワー注入!

某ラジオ番組が、神キャストチョイス過ぎて震えてます(察し

こうやって、ただただ好きな作品が抜群のタイミングで出てくるだけで、

絵のような無敵状態になるわたしだよ…。

もっと表現できるようになりたいなあ。

先日、とある方の記事を読んで、

すごくザワッとした気持ちになったので、

この気持ちは何なのだろう?と考えていました。

 

”リアルがフィクションを凌駕する。”

 

果たしてそうだろうか。

…相変わらずうまく表現できないのだけれど、

おもしろさ、楽しさ、感動、興奮…何でもいいですが、

「感じ」を、リアルとフィクションとで同列に置く(並べる)ことに猛烈な違和感があるのだ。

超えるとか超えないとかじゃなくって、

なんていうか、わたしは全く別モノだと思うのです。

それに、お腹の底からムズムズが湧き上がったり、

目の前の景色がキラキラ輝くのは、フィクション、非現実の世界だし、

こんな風になるのだって、

現実に無いものを描いているから、とか、

現実ではありえない、到底無理な世界だから、ではないんだよなあ。

この記事を書いた方とは、

求めるものや、視点が違うのだろうなってのはもちろんわかるんだけど、

今回珍しく人様の個人的な意見に反応したのも、

なんかこう、閉じられた感じがして悲しくなったというか、

そうじゃない!っていう謎の抵抗感が半端なくて、スルーできませんでした。

あ、この方の記事に対して、

叩きたいわけでも、いちゃもんつけたいわけでもありません。

ただ、わたしにとって創作は、ほんとうに尊いものだから、

込み上げてきたのです。

 

という、浅井いち個人のお話でした。

こだわりとわたし

15-361コレ、すっごい哀しい。

(じぶんの所有物じゃなくても。

ひとそれぞれにこだわる部分、気にならない部分って違うのですが、

わたしは本や創作物が残念なことになるのがツラいです。

グッタリした状態のものに遭遇すると、

ていねいに扱えとまでは言わないけど、

せめてこう、もうちょい優しくしたげて…とおもう。

図書館の本とか、レンタル本も正直苦手。

食べ物のカスとかシミ、書き込み、ドッグイアされてるのを見ると、ガッカリします。

もちろん経年劣化だってあるけれど、

たとえクタクタになっていても、

大事に扱われてきたものは一目見ればわかるもの。

あとはねー布団はサンクチュアリとか。(どうしたいきなり

お風呂入らずに布団には入れない。

どんなに疲れてても、遅く帰宅しても、

必ずお風呂入ってから布団にダイブ!します。

ましてや布団の上でモノを食べるとか超絶無理だ。

布団が可哀そうになr略

逆にぜんぜん気にならないのは賞味・消費・使用期限。

身体を壊さなければ、多少切れててもへっちゃらです。

さすがに自分以外の人には出さないけど。(安心して。笑)

こだわりがなくなったり、妥協できるようになったこともあるし、

やっぱり昔からこれは譲れないなあっていうこともたくさんある。

ただ、譲れないのは仕方ないとして、

譲れないなりに、どう工夫したらいいだろう?

ってのを考える余白は持っておきたいです。

固くなるのだけは避けたい。

輝きとわたし

15-357.png世界が輝いて見える瞬間。

(すんごいキラッキラしてる。

自然や創作って、どうしてこんなにやさしいんだろう。

もちろん、壮大な大自然の中では、

ひ弱すぎるわたしたちは到底生きれたもんじゃないけど、

日々の生活で触れることのできる自然は、とてもやさしい。

創作もそう。ものすごくやさしい。

この中にいる時、

水中でだらん、と全身の力がぬけて浮かんでいるような感覚になります。

本当は、こんな風にいつまでもプカプカしていたいけれど、

生きてくためには、必要最低限のルール則って生活しなくちゃいけなくて、

それを思うとスッと現実に引き戻されます。

差し水をしたように、ぱたっと静かになる。

…てなことを書いてたらキラキラどっか行っちゃったよ。(わああ戻っておいで!笑)

そのたびに、ちいさくガッカリしてます。

厳しさも残酷さも知っておく必要があるけれど、

そっちにグッと意識が向くと途端に色褪せますね。

てなわけで、キラキラを迎えに、

ちょっくら作品の海にダイブしてきます。 ドボン!

鎌倉とわたし

DSC_1080.JPG突発弾丸鎌倉遠足してきました。

(鎌倉の自己主張が略。

昨日、乗り気じゃなかった鎌倉へ行って来ました。(オイ

特にここ!という目的地もなく、ただぼんやりわかっていることは「鎌倉」だけ。

ひたすら街を練り歩いて歩いて歩き通して、いやーくたびれましたー。

印象に残っているのは、

途中出会ったデブ猫(←ボスと勝手に命名)VSリス(爆笑)くらいかなあ。

…正直、この街や人にはあまり惹かれるものが無く、

むしろ滞在していて、途中で哀しい気持ちになったので、

日が暮れて本格的に哀しくなる前に、お暇しました。

んで、鎌倉ミッションやっつけたー♪はーヤレヤレε-(´∀`*)と思っていたのですが、

鎌倉の自己主張は収まるどころか激しさを増して…?(;゚Д゚)ファッ

やっつけ仕事してんじゃねえよ的な?

何勝手にミッション扱いしてんの?何権限でそんな戯言ホザいてんの?みたいな?

うおおお訳が分からんー!(お前が訳わかんねぇよ@読者の声

to be continuedってやつだろうか…

うわーめんどくせ…ブフッ∵(´ε(○=(゚∀゚ )

次行くときはもうちょい下調べしよ…いつ行こうかなあ。

わたしは金沢と山口に行きたいのだ…